RIKKYO ACADEMIA

Bible, Theology, Literature

言葉に仕える

洗礼と堅信。教会で執り行われた一連の秘蹟は、私が自由を獲得する過程そのものでした。

「今年のクリスマスは教会に行きたい」2020年の日記を紐解くと、こんな一文が書かれていました。拙い言葉ですが、当時の私の紛れもない信仰を表しています。その年、私は立教学院諸聖徒礼拝堂のクリスマス・イブ礼拝に参列しました。チャペルに行くと、司祭の先生方が私を祝福してくれました。「主イエス・キリストの恵みがあなたに在りますように」

それは嬉しく、喜びに満ちた経験でした。当時、私は老人ホームで介護職として働いていましたが、福祉の美名のもとに課せられる過酷な労働に疲れ、病み、傷ついていました。教会に来て、罪を悔い改め、祈り、恵みを享けることは、エゴイズムに満ちた市民社会で負った傷を癒し、奪われた尊厳を回復する作業に他ならなかったのです。

最後に『ガラテヤ人への書』(5:1)を記して、筆を擱きます。

キリストは自由を得させん爲に我らを釋き放ちたまへり。されば堅く立ちて再び奴隷の軛に繋がるな。